桐朋学園大学音楽学部ピアノ科卒業。同大学アンサンブル・ディプロマコース修了。箱根・芦ノ湖畔での「芦ノ湖音楽祭」では2000年より中心的な役割を果たす。
2001年よりウィーン・フィル首席チェロ奏者フリッツ・ドレシャル、2002年より同コンサートマスター、ウェルナー・ヒンクと共演を重ねる。これまでに、ウィーン・フィル首席クラリネット奏者ペーター・シュミードル、同首席フルート奏者ヴォルフガング・シュルツ、同元コンサートマスター、ダニエル・ゲーデ、同首席トロンボーン奏者イアン・バウスフィールド、第一ヴァイオリン奏者ヴィルフリート・和樹・ヘーデンボルク、同首席ホルン奏者ラルス・ミヒャエル・シュトランスキー、同首席第2ヴァイオリン奏者、ティボール・コヴァチ、ウィーン弦楽四重奏団、ゲヴァントハウス管弦楽団元コンサートマスター、カール・ズスケ、ゲヴァントハウス管弦楽団首席チェロ奏者、ユルンヤーコブ・ティム、ゲーデ・ブラザース、ベルリン国立歌劇場管弦楽団首席クラリネット奏者、マティアス・グランダーと共演。2004年よりヒンク、ドレシャルとピアノトリオを組む。
2005年4月、ドイツ・ボンにて、ウィーン弦楽四重奏団との室内楽コンサート、ベートーヴェンオーケストラ・ボン(BOB)の定期公演にソリストとして出演し、ヨーロッパデビュー。7月のBOB来日公演での協演も好評を博した。12月ウクライナ・キエフにて、ローマン・コフマン指揮キエフ室内管弦楽団と共演。
2006年6月には、ロンドン公演。7・8月の軽井沢の森音楽祭全20公演に出演。また、8月19日ザルツブルグ・ミラベル宮殿にてヒンク、ドレシャルとのピアノトリオで出演。10月にこのトリオで日本ツアー、11月マティアス・グランダー、12月ペーター・シュミードルと共演。
2007年は、3月にドレシャルとの共演、7・8月の軽井沢の森音楽祭、芦ノ湖音楽祭、ザルツブルグ・ミラベル宮殿でヒンク、ドレシャルとのトリオ再演、10月にコヴァチとの共演などが予定されている。
ソロ活動では、リスト編曲ベートーヴェン交響曲全曲を、2003年完成。
難曲中の難曲として、あまりにも有名なリスト編曲によるベートーヴェンの交響曲。
その魅力と全貌を、後藤泉のピアノでご堪能ください。
当時の世界的なピアニストであり、また自身の演奏力を生かした多数のピアノ作品により、作曲者としても知られているフランツ・リスト。
彼はまた、優れたトランスクリプションの才能を持っていました。シューベルトの歌曲も、パガニーニのヴァイオリン奇想曲も、バッハのオルガンフーガも、リストの魔法にかかると徹頭徹尾オリジナルなピアノ作品として生れ変わります。
そして、リストは大胆にもその魔法の杖の先を、ベートーヴェンのシンフォニーの上に置きました。それは天才と天才とが互角に組み合った、歴史的瞬間であり、リスト版ベートーヴェンのシンフォニーが誕生した時でもありました。
きわめて高度な演奏技術が要求されるこの「リスト版ベートーヴェンのシンフォニー」は、その難易度ゆえ、実演の機会のきわめて少ない作品でした。
後藤泉は、この難曲中の難曲に取り組み、2003年8月、ついに9つの交響曲すべてを完成させました。
数十人編成のオーケストラの音を、たった1台のピアノとわずか10本の指のみで再現する「リスト版ベートーヴェンのシンフォニー」。 その魅力と全貌を、後藤泉のピアノは堪能させてくれます。
私が、初めて後藤泉にあったのは、1997年の秋、私が主催している、山中湖音楽祭に於いてだった。その時は、まだ、山根美代子先生に引率された、学生の室内楽のグループの一員としての参加だった。
その彼女に、山根美代子先生のお勧めで、個人的に面談したのは、それから2年後の、1999年の秋のことである。
そして、同年12月に、箱根プリンスホテルのサロンコンサートにおいて、彼女の、初めてのリサイタルが行われた。
しかし、この時、私は、彼女の才能に、それほどは気がつかなかった。だから、次のコンサートの企画を入れなかったところ、山根美代子先生から、もう一度だけ、チャンスを与えてやって欲しいとのご依頼があった。そこで、2000年5月の初夏の芦ノ湖音楽祭で、2回目のリサイタルをおこなった。この時の彼女は、1回目とは見違えるほどの上達振りだった。
そこで、同年8月。夏の芦ノ湖音楽祭で、7回の公演チャンスを、彼女に与えることにした。
私が、後藤泉にほれ込んだのは、この時である。僅か3週間の音楽祭の期間に、7回の出演機会があったが、彼女は、回を重ねるごとに、輝きを増していった。1回の公演が終わると、次に会うのが楽しみだった。今時珍しく、正しい日本語を話し、礼儀作法のきちんとした、笑顔の美しい娘だった。
総ての日程が終了した時、私は彼女に、私の考えを話した。
「私は、君の才能がどれほどのものかは、判らない。しかし、山根美代子先生が、あれほど推薦されるのだから、人並み以上だとは、理解している。そこで、君が、プロのピアニストになるための、後押しは引き受ける。但し、私が協力できるのは、君にチャンスを作ることだけで、そこから先は、君の努力次第だ。そこで、私は、君に三つの課題を提案する。
一つは、最初の音楽活動は、海外からやろう。それも、上海がいい。二つ目は、あまり人のやらない曲にチャレンジしよう。三つ目は、世界的に活躍しているアーティストと、アンサンブルを組もう。」
私たちが、初めての海外公演を準備するために、上海を訪れたのは、同年10月のことである。
それから4年、後藤泉は、難曲中の難曲と言われた、リストが編曲した、ベートーヴェンの1番から9番までのシンフォニーのピアノ版を見事に完成した。そして、ウィーン・フィルハーモニーの、チェロの首席奏者の、フリッツ・ドレシャル氏と、また、同コンサートマスターのウェルナー・ヒンク氏と、また、ウィーン弦楽四重奏団と、毎年共演のチャンスに恵まれ、更には、2004年12月、同楽団クラリネットの首席奏者ペーター・シュミードル氏と、この3月には、同フルート首席奏者ヴォルフガング・シュルツ氏と共演。6月にはヒンク氏、ドレシャル氏とのピアノ・トリオ、7月は両者と、ベートーヴェンオーケストラ・ボン日本公演に、ソリストとして出演することが決まっている。
これらの総ては、彼女の音楽的才能と努力は当たり前にして、彼女の人となりに起因しているのではないだろうか。
音楽家である前に、人間であれ。後藤泉のますますの活躍を、心から願うものである。
林屋 克三郎
(株式会社 林屋総合研究所 代表取締役、日本ペンクラブ会員)
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